昨日、私は、まんまみーあ熊本地震支援スタッフとして、熊本地震で被災している子どもたちのために、アレルギーお持つ子ども向けの離乳食やノンアルコールウエットティッシュを、熊本の被災地に届けてきました。
私自身が熊本出身で高校を卒業するまで、今回被害の大きかった益城町から1kmほどしか離れていない熊本市東区に住んでいたこともあり、今回の震災発生から、変わり果てた故郷の映像に衝撃を受けていました。そんな中、熊本にいる高校の同窓生などとメッセンジャーなどを通じて話す中で、「アレルギーを持つ乳幼児の食べる物が何もない。」また「断水のため、赤ちゃんの体を清潔に保つ水がない」といった被災地からの声を聞きました。私自身も現在3歳になる子どもがおり、アレルギーを持つ乳幼児の食べ物がないという友人からの話は、もし現在3歳になる自分の子どもに同じ状況が降りかかったらと考えると、とても恐ろしいのと同時に、何かしなければとの思いが強くなりました。
そんな時に、熊本市役所や県庁に勤める友人に、現在の支援物資や交通網の状況を聞いたところ、国道などの幹線道路は全国からの災害支援や自衛隊などの車両で混んでいるが、市道・県道などの裏道を使えば、他の支援部隊に迷惑をかけず行けること、また、熊本の大学生がボランティアで支援物資の仕分けと被災地のニーズを収集している支援物資集積所なら、ニーズのある避難所に素早く物資が届く可能性がもっとも高いことを聞き、私たちは、支援物資を届けることを決意しました。
当日、東京で集めた支援物資を持ってメンバーとともに、福岡まで飛行機で飛び、さらに博多で支援物資の追加搬入をおこない福岡から車で一路熊本を目指しました。4/19の熊本は気温は21度でしたが、直射日光が強く大変暑く、水の無い避難所の小さな子どもたちにはつらいだろうなと考えながら、高速道路を急ぎ熊本に向け南下しました。高速道路を下りるインターチェンジまでは、スムーズに流れ、パーキングエリアには自衛隊車両や全国からの支援物資を積んだトラックなどが、多数止まっていました。高速道路のインターチェンジの出口周辺から降りた先の国道は大変渋滞していましたが、あらかじめ選定していた県道・市道などの裏道を駆使し、渋滞に巻き込まれることなく夕方前には、物資集積所である熊本県民総合運動公園陸上競技場のパークドームのボランティアの方々に支援物資を届けることができました。
帰り道、被害の大きかった益城町や私が高校まで住んでいた熊本市東区を見ました。東には雄大な阿蘇山が見え、春先の熊本らしい木々の青々とした故郷の景色は、私が記憶していた景色よりもずっと美しい景色でした。けれど、私が子どものころに遊んだ町の商店や家々は崩壊し、壁が丸ごと倒れている。よく買い物に行った商店街のスーパーは遠目からもわかるほど大きく外装のパネルが斜めに崩壊して今にも崩れ落ちそうな状態になっているなど、震災のむごたらしい傷跡をさらしており、大きな衝撃を受けました。私が卒業した小学校の横を通過した時、校庭には被災者の方々の車が並び、自衛隊の給水車が校門前に止まっていました。けれど、この苦しくつらい状況でも、大きな声で元気に遊んでいる避難所の子どもたちの姿を見つけ、変わり果てた故郷の街並みに唖然としていた私は、逆に元気づけられました。
路面電車の走る熊本市のメインストリートの道沿いで段ボールに「水あります」と書いてペットボトルの水を配る地元の企業や商店の方々、みんなが協力して、大変な「今」を乗り切ろうとお互いに前を向いて協力している市民のみなさんの力強さを感じました。
熊本は必ず震災前よりすばらしい町に復興できる。
がんばれ熊本のみなさん!がんばれ熊本の子どもたち!