もしも子どもが自分よりも先に死んでしまうとしたら、こんなに悲しい事はありません。
「お母さんの準備ができてないから死ねない」 死ぬ直前までお母さんのことを気にかけ、5歳でがんを発病し、4年の闘病を経て、9歳で亡くなった、なお君の親思いが感動的です。
●子どもが死んでも泣かなかった母
なお君こと山崎直也くんは、1992年神奈川県に生まれます。
とてもわんぱくで毎日元気いっぱいに過ごしていたなお君ですが、5歳の時ユーイング肉腫という悪性のがんにかかっている事が判明します。
腫瘍は切除しましたが、抗がん剤の副作用に苦しむ日々が続きます。
ユーイング肉腫は10万人に1人と言われる難病で、腫瘍を切除しても骨に転移しやすいため治療には抗がん剤と強い放射線が欠かせませんでした。
手術と再発を繰り返し学校にも通えないなお君を見て、母の敏子さんは「お母さんとなおが代われるなら、変わってあげたい」と何度も口にしていたそうです。
そんな母親の言葉を聞くとなお君は決まってこう言っていたそうです。
「ダメだよ。僕じゃないと耐えられないよ、お母さんじゃ無理だから」、この言葉にはなお君なりにお母さんを気遣う気持ちが込められています。
●「お母さんの準備ができてないから死ねない」
その後も必死に闘病を続けますが、治療の甲斐なく病状は悪化して行きます。
2001年6月には骨髄に転移が見つかり、全身に広がってしまいます。
なお君はそれでも必死に生きようと、手術を希望しますが、もう手の施しようながく医師はモルヒネを打ち痛みを和らげる事しかできませんでした。
ある時なお君は発作を起こし呼吸困難に陥ります。
その姿を見てパニックになり主治医を探す母の姿をなお君は見ていたのです。
医師からはもって半日だろうと宣告されていました。
病室に戻った敏子さんに、なお君は、あろうことか励ましの言葉をかけるのです。
「おかあさん、さっきなおがあのまま苦しんで死んだら、おかしくなっていたでしょ。
だからなお、がんばったんだよ。それでも苦しかったけど。
おかあさんがなおのためにしてくれたこと、なおはちゃんとわかっていたよ。「先生早く!」って叫んでいたよね。
でも安心して。なおはああいう死に方はしないから。
なおはおじいさんになるまで生きたいんだ。おじいさんになるまで生きるんだ。頑張れば、最後は必ず幸せになれるんだ。
苦しいことがあったけど、最後は必ずだいじょうぶ」
それからなお君は2週間も頑張りましたが、2001年7月2日に息を引き取りました。
なお君は入院中に看護婦さんにこんな事を言っていたそうです。
「あのね、なおは、お母さんの準備ができてないから、今はまだまだ死ねないんだ」と。
だから、お母さんはなお君が死んだ時に泣かなかったそうです。
なお君の言葉は、母親の敏子さんの手記によって日本中に広まり、多くの人が「生きることの大切さ」や勇気や優しさに触れることができました。
幼い男の子の短い人生から、わたしたちも、家族を思いやる気持ちや、精一杯生きる姿勢など、学べることがたくさんあるようです。
<出典>
Youtube
書籍「がんばれば、幸せになれるよ―小児がんと闘った9歳の息子が遺した言葉」(小学館文庫)