北海道の子ども置き去り事件は、まだまだ記憶に新しいですが、この事件では、SNSを中心にして親への批判が過熱しました。
また、海外でも同じ時期に、動物園のゴリラ舎に子どもが誤って落ち、救出のためのゴリラが射殺される事件が発生。この事件でも同様に、親へ批判が殺到しました。
●ネットで加熱する「親叩き」の風潮について
北海道の子ども置き去り事件では、海外でも大きく取り上げられ、「置き去り」という言葉が、さまざまな大手メディアでも見出しに使用されました。
しかし、このようにネットで過剰に親の非ばかりがクローズアップされる姿勢を疑問視するジャーナリストもいます。
完全に子どもを置き去りにして養育放棄をする意志は親にはなかったとして、さらにメディアの言葉の選び方に問題があったのではと示唆しています。
「置き去り」という罰に多くの見ず知らずの人達が反応して、「虐待」や「恐ろしい」などの厳しい言葉をソーシャルメディア上でぶつけることに、このジャーナリストは違和感を持つと言います。
また、同時期にアメリカの動物園で発せした、ゴリラ射殺事件でも、子どもの母親の監督が甘いと批判されたことなど、ネット上では怒りが「親」に向けられやすいと指摘しています。
また、少年の父親が公に謝罪したことに関しても、ソーシャルメディア上の人たちは、自分たちがさも被害者であるかのように謝罪に感謝することや、まるで聞かなかったかのように、批判を続けることに関しても違和感を持っています。
「親を育て教育してやる」といった姿勢がみられると指摘します。
もちろん、息子を危険にさらした父親の行為は間違っていたものの、ソーシャルメディア上の人たちも他人の気持ちを理解するべきと述べます。
親であっても誰でも過ちは犯すもので、子どもについついカッとなり、いじわるな言葉をかけたり、過剰に怒ったりして後悔することはみんなあるはずです。
しかし、ソーシャルメディア上の怒りは、そのような親の感情などを察することがなく、独りよがりであるとも指摘しています。
事件の背景にあるニュアンスを考慮すれば、安易に批判はできなくなるはずです。
Photo by Tamaki Sono