子ども時代を思い出した時、あなたはどんな遊びを良くしていたでしょうか。
家の中でおままごとや人形ごっこをしていたと言う人もいれば、外で元気に公園遊びをしていたと言う人もいるでしょう。
遊びは自由な時間です。気になることを思いつくまま試してみたり、ハマって何度も繰り返した遊びがあるかもしれません。
しかし、やがて自分が子どもを持つようになると、立場が変わり、泥だらけで洗濯が大変、動物や植物を大切にしてほしい、知育おもちゃなど、もっと教育にプラスになるような遊びをしてほしい、など、保護者としての要望が出てきます。
そして、子どもの遊びが親を困らせるようなものだった場合、どうしてそんな遊びをするのか、困らせて楽しいのかと怒りたくなるものです。
しかし、子どもの遊びと言うのは、大人が喜ぶような、いいことをしているわけではないのです。
●子どもが遊ぶのは子どもの好奇心を満たすこと
子どもの遊び方は様々ですが、年齢に応じて思いもよらぬことをやらかします。
赤ちゃんのうちは、タオルのタグを延々なめていたり、ティッシュがなくなるまで引き出してめちゃくちゃにしたり。
少し大きくなると、おもちゃを一列に並べて、片づけると激怒したり、水たまりに手を突っ込んだり、ダンゴムシを集めたり。
さらに大きくなると、蟻の巣をいたずらしたり、階段から飛び降りたり。
中には、秘密基地を作っていろいろなものを持ち込んだり、ピンポンダッシュをしたり、実は自分も大人を困らせる遊びをしていたと言う人もいます。
大人がいけないと思うような遊びでも、子どもにとっては楽しい遊びであり、子どもは自分の好奇心にのっとって遊び方を選んでいるのです。
つまり世間一般的な価値観や倫理観、常識などが子どもの遊びには通用しないのです。
●虫を殺して遊んでいる子は?
たとえば命の大切さを子どもが学ぶとき、ペットを飼うと言う人もいますが、虫から学ぶ子も多くいます。
子どもは虫をいじめる遊びをしたがります。
蟻をひたすら踏みつぶしたり、バッタやクモを、手でちぎったりして殺していたり、捕まえた蝶を砂に埋めたり、トンボの顔を水につけたり。
大人が見かけたら、つい大声でやめるよう制してしまうような、残酷な遊びをすることがよくあります。
しかし、虫の命について、大人から何度説明を受けても、本当に理解できる子はまれです。
近親者の死を体験している子なら、命について実感を持てるかもしれませんが、多くの子は、虫をいじめているうちに、ふと「殺している」「ひどいことをしている」自分に気付き、ようやく、相手が命であることを実感します。
一度、心から自覚できれば、それ以来同じようなことはできなくなってしまうのです。
理論的に述べることは難しいのですが、子どもは遊びを通じて好奇心を満たし、そして本当に大切なことを学習していきます。
この生の体験をたくさん積んだ子は、大人になって、正解のない世界で生きていくとき、経験が大きな糧となります。
それでも子どもの遊びが悩みになってしまったらどうすればいいのか、その答えは各々の中にあるとしか言いようがありません。
一つずつ丁寧に説得していくか、どうしてその遊びがいけないのか根気よく教える、ほかの子どもと一緒に遊ぶ方法を教えるなどいろいろなやり方がありますが、その教えを実践するのは子どもです。
自分の価値観を押し付けるのではなく、子どもが今向き合っているものを一緒に見つめ、一つずつ解決していくことが大切ではないでしょうか。
Photo by Eric Lewis