体罰に対しては人それぞれに意識が違うため、何をもって暴力とされるのか、どこからが体罰となるかの線引きは簡単にはできません。
また、体罰が必要か不要かということも決められることではありません。
ただししつけをするにあたっては、「必要な場合もある」と言えます。
教育というのは時代とともに方法が変わっていくもので、単純に言うと昔は今ほど体罰というのは問題にはなりませんでした。
悪いことをして先生がげんこつをしたり、親がお尻を叩いたりすることを体罰として騒ぎ立てることはありませんでしたし、子供がそのせいで不登校になったりグレたりすることもありませんでした。
ですが、現代では先生がちょっと子供に手をあげると、親が必要以上に体罰だと騒いだりしますし、親のしつけとして叩いても、周りから体罰を与えていると言われてしまうこともあります。
もちろん基本的に体罰というのはよくありませんが、言葉の意味が理解出来ない子供の場合だと、時には手を上げることも必要です。
例えば命に関わる危険なことや人を故意に傷つけるというような非人道的なことをしたら、早いうちから、それは悪いことしてはいけないこと、と教えなくてはいけません。
言葉で伝えて理解してくれればいいですが、それができない場合は、分からないまま成長してしまうことになります。
悪いことを悪いと教えられないまま、痛みを知らないまま成長させるのは、よいことではありません。
感情ではなく言葉の意味を伝えるために叩くというのであれば、体罰も一つの大事なしつけの方法と言えるでしょう。
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